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南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

∬10月―天国と地獄のあいだには(1)


《10月―天国と地獄のあいだには》 ~2002年10月の記録

 ∬第1話 家族への招待

「ジェンネット!ジェンネット!」(天国だよ、天国!)
電話だとひときわ声の大きくなる夫の声が響いた。田舎の母親や兄弟姉妹をアンタルヤの自宅に招待する電話の声だった。

10月29日はトルコの共和制設立を記念したジュムヒュリエット・バイラム(共和国記念日)。今年は火曜日に当たり、学校は26日から27、28、29と4連休となっている上、家族の一人が連休中に誕生日を迎えるとあって、日頃あまり親戚を招待したがらない夫が、この時ばかりはと張り切って家族全員を招待したのだった。

実のところ、それから1週間ほどの間、私は気が気ではなかった。なにしろ母と兄弟姉妹、それに子供たち全員が集まった場合、15人から20人にはなるわけだから、コップや食器の数、布団やシーツ、枕、タオルの数、そしてどのように部屋を割り振るか、食材は何を用意し、食事はどこで食べさせるかetc。心配の種は尽きなかったのだ。

せっかく招待したのに、なかなか色好い返事が返ってこないことに痺れを切らした夫が催促の電話をかけると、やって来るのはせいぜい母、兄、妹の3人という返事だった。
夫としては最高の家族サービスのつもりでいたのだから、誰も喜んで来たがらないことを知ると、はた目にも夫の様子は寂しそうだった。

理由が経済的なものなのは、明らかだった。家族4~5人でアンタルヤまで往復すれば、旅費は200ミリオン(約1万6千円)近くに上るのだから、田舎でつつましく暮らしている夫のどの家族にとっても手痛い出費になることは間違いない。
家族が一堂に会するにも、なにはともあれお金なのだ。
人数が減ったことに正直なところホッとする一方で、それでも遠路はるばる来てくれる母、兄、妹たち、それに来たくても来れない他の姉妹や子供たちのことを思うと、やるせない気持ちに陥ったのだった。

 つづく

∬第2話 一抹の不安




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